最近は、YouTubeでレッスン動画も目にする機会も増えました。
時々みかける2歳・3歳さんのレッスン動画の中で気になったこと。
鍵盤の上のちっちゃなお指を先生がぎゅっと持って、「ここ」と言いながら、鍵盤を押す場面です。
そんな光景を見ると、なぜか心にすきま風が吹きます。
なんとなく「やらされている」感じに見えてしまう・・
最初はそのように促したとしても、その後、本当に自分の意思で鍵盤を押すのでしょうか?
そんな疑問を持つのです。
確かに、先生が指をぎゅっと持って出して欲しい音を鳴らせば、端から見ているお母さんや
先生は「レッスンが成立」と結果が出たように感じます。
でも、もしかしたらそれは先生やお母さん側の満足でしかない場合もある気がするのです。
本来ピアノを弾くには、自分の指で鍵盤を押すわけで、まっすぐ鋼(はがね)のような指のまま
先生の力で鍵盤を押されて音を鳴らしたとしても「自分で音をだせた」という、子供の満足感には届かない気がします。
ずいぶん以前に、発表会で鍵盤の位置がわからなくなって固まってしまった生徒に、舞台ソデから出て行った先生が、無造作に、腕を正しい位置に戻した光景を見た感覚です。
そこに、生徒の意思はなく、動かされた手の位置から弾く、生徒さんの意思はなく無感情な姿に見えたのです。
もしかしたら、同じ事をしても違う先生だったら、もっと温かい光景に見えたかもしれないかもしれませんが。
先生は正しい位置を教えてあげて、本人が自ら動かすのを待たずに、「こっちよ」と言わんばかりに腕を動かす。
結構、乱暴に見えたからかも知れませんが、その感覚と重なって見えてしまうのです。
レッスンの中でも大事なのは、生徒自身が意思を持って、能動的に動くことですよね。
負荷をかけて動かされ続ければ、指示待ちの感覚が宿ってしまいます。
なので、私は鍵盤の場所をさして場所を教えてあげることまでしかしません。
それで本人が鍵盤押さないようなら、その時は「今度やってみようね」と声掛けし、それ以上はしません。
2歳でそれができないなら、それは「今」鍵盤を弾くのはまだハードルが高すぎることなのです。
そんな想いから、どれみフレンズを作りました。
だからピアノではなくピアノベルを使うのです。
そして、演奏の前に知っておいて欲しい指への指令や、柔軟性、音の並びや、高低の把握
について楽しい歌で一緒に体験するのです。
ピアノを弾くのは、自分の意思で鍵盤を押したい気持ちが芽ばえたとき。
自分で「弾く」
その行為が多少遅くても、癖もつかず後からグーンとのびると、思っています。
子供が長くピアノを楽しむには先生側も長期に見守る、「鳴かぬなら鳴くまでまとうホトトギス」
の感覚が必要!
これが私の想いです。