以前目にした、TVドラマでの親子の会話。
「ピアノ辞めたい・・」そう言った娘に、お母さんは「あかんやろ、中途半端にやめたら。」
そう言ったお母さんに対して、お姉さんが「本人からやりたいと言ったん?」と一言。
お母さんは、少し伏し目がちで「自分がやりたくてもできなかった事をやらせてあげたい・・」とポツリ。
そんなワンシーンでした。
よくあるパターンで、よくわかる親心、よくわかる光景ですね。
お母さんも、わかっているのです。
お子さん自身が選択して、ピアノを始めたわけでは無いこと。
でも、お母さんは辞めてもらいたくない。
その時の言葉が「あかんやろ、中途半端にやめたら」というものです。
この気持ちももちろん含まれるのですが、それは誰からも見えている感情です。
例えば水に氷を浮かべた時に、水面上に見えている部分。
でも本当のお母さんの気持ちは、水に氷を浮かべた時の水の中に隠れている氷の部分、つまり「自分がやりたくてもできなかった事やらせてあげたい」という、表からは見えていない感情なのです。
感情は複雑です。
そして、意図せずに日常的に見えている部分=もっともの意見
見えてない感情=心の奥の感情
を絡ませて、会話をしているものです。
その口調が激しいと、言い争いになったり、気持ちと裏腹にけんかになったりするのです。
その後ドラマの中では、戻ってきた娘に「ピアノやめたかったら、やめてもいいよ」とお母さんが優しく声をかけていました。
やめさせたくなかったのは、本人のためというよりも自分の感情の方が大きかったことに気が付いたのです。
案の定、娘は「ピアノ続ける!」となり、めでたしめでたしでした。
お母さんが、見えていない、もしくは隠しておきたかった感情と向かい合えたことによりこのような結果になったのだと思います。
ピアノの先生側も、あくまでもピアノを弾くのは本人だけれども、お母さんの気持ちを察すること大切です。
お母さんが自分の感情を自分自身で受け入れ、子どもの気持ちを受け入れる覚悟ができれば、相乗効果でレッスンはよりスムーズになります。
信頼の関係性の構築に欠かせないことだと感じたドラマのワンシーンでした。